エイサー|エイサーの歴史|沖縄観光ならエイサー見るべき

エイサーと三線

ハイサイ!TOMMYと申します。

沖縄の夏と言えば「海」「食」「観光地」もちろんですが、欠かせないのが「エイサー」です。

エイサーの時期は夏(7月~9月)各地域でイベントなど開催されており、エイサーに特化した祭りなどが沢山あります。

エイサーは生演舞を見るのが一番いい♪テレビやYouTubeなど動画もありますが、会場の雰囲気や太鼓の重低音が身体に伝わる体感を味わってもらいたいです。三線の音色、太鼓の音、女性のしなやかな踊り、男性の躍動感ある演舞は迫力があり。なんとも言えません。

 

伝統エイサーと創作エイサーの違い

【創作エイサー】琉球國祭り太鼓

創作エイサーは、1980年代以降に地域に依存しないクラブチーム型エイサー、住んでいる地域に限らず参加できる団体である。

1982年に結成された「琉球國祭り太鼓」県内外をはじめ海外にまで活動を展開(会員数2000名以上)。地域と結びついた青年会のエイサーとは違う常識をくつがえす活動が魅力である。90年代以降の沖縄ポップを積極的に導入しており、民謡のほかに楽曲(代表曲:ミルクムナリ)など新たな振り付けを行い、大人数のパフォーマンスは圧巻の演舞です。

【伝統芸能エイサー】

旧盆にエイサーで集落を巡り、先祖を供養する念仏踊りである。地域によるがエイサーがいつ頃から始まったかは不明である。それでも100年以上の歴史があるのは確かだ。1907年の新聞記事からは確認できている。

伝統エイサーについてはのちほど詳しく説明する。

※創作エイサーとは県内外に支部を設置して、従来のエイサーでは見られない大胆な創作によって演舞するパフォーマンス集団。

※伝統エイサーとは100年以上の歴史があり、地域の先輩方から伝統を受け継ぎ、各地域の住人によって構成されている。旧盆(先祖を供養)を目的とした青年会団体である。

 

エイサーの歴史 沖縄の旧盆行事

沖縄の旧盆は(七月:シチグヮチ)と呼びます。旧暦7月13日~7月15日にかけて3日間行わます。

旧盆とは、精霊達が現世との行き来を許される年に一度の機会である。

↑【旧盆の供え物 画像】

【沖縄の旧盆】

  1. 7月13日「ウンケー(お迎え)」祖霊を迎える日である。仏壇に香炉を灯し位牌(いはい)を清める。酒や線香、果物、天ぷら、団子などを供える。地域によってさまざまな供え物がある。
  2. 7月14日「ナカヌヒー(中の日)」先祖に3度の食事を供える。
  3. 7月15日「ウークイ(お送り)」 13日にお迎えした祖霊をお送りする日である。家族や親戚などが集まる。夕食のお供えの後に、餅や揚げ豆腐、天ぷら、豚肉、カマボコ、昆布などをお供えし、ウークイをする。家族そろって仏壇に線香をあげ、ウチカビと呼ばれる(あの世のお金)を火で焼く
  4. 旧盆のウークイの日に祖霊をあの世にお送るときに踊るエイサーは念仏踊りである。

※祖霊を迎えて、お送りするため、旧盆の時期に、集落内を練り歩きながら(道ジュネー)各家々を廻って踊るのだ。そのため貢献者が大切であり、先輩方から演舞の指導をうけ地域の伝統を伝承していく、これが本来の伝統芸能エイサーである。

※エイサーの本来の役は「念仏踊り」。エイサー本来の姿から時代の変化と共に、念仏の風流化や芸能化が進むにつれ、念仏踊りから発展して祭りやイベント化していった。昨今では結婚式の場でも踊られるほどである。

 

エイサー戦後を境に大きく変化

1945年の沖縄戦にてエイサーを余儀なく中断。

多くの地域住民が米軍基地の用地接収により移住をよぎなくされた。

1947年~1950年、終戦後は仕事もインフラも当然ながら整っていないため、食べ物や酒を手間賃がわりにして、家を建てたり、畑を耕すなど青年達をまとめる必要性に迫られていた。そのため青年会が組織されていきエイサーが復活したという。

終戦後は貧しく、アメリカ製の水缶や一斗缶を太鼓の代用とした地域もあったそうです。

戦前はウークイ(7/15)を各家々で終わらせて道ジュネーを行っていた。戦後になると沖縄市や北谷町では旧暦(7/13~7/15)まで道ジュネーを行う地域がほとんどである。

毎晩、夕方ごろ公民館をスタートして集落を3日間にわたり巡り、遅い時には深夜00時を過ぎるときも多々ある。

 

全島エイサー

青年会は戦後に組織化され現在に至るのである。

1956年(昭和31年)、戦後のエイサー復活から転換期となった。

コザ市で始まった「全島エイサーコンクール」。将来のまちの発展を理由に中部独特の行事として、闘牛と併せて実施された。

全島エイサーコンクールでは踊りを競い、観客に見せる場としてきたことで、先祖送りのエイサーという意識に加えて見せるエイサーへと意識がプラスされていったのである。コンクールだけに優勝や準優勝など順位もつけていた。

全島エイサーコンクール、第1回、2回と3万人の観衆、第3回は6万人と回を重ねるごとに観客は増えていった。

1977年から順位をつけることを中止とした「コンクール」→「まつり形式」と変わったのである。

理由としては、コンクール評価基準に対して先祖供養の踊りに、優劣をつけるのは、いかがのものかとクレームがくるようになったからである。

現在の「全島エイサー祭り」では3日間で30万人の観客動員するイベントまで成長し、沖縄の夏の風物詩としても定着している。

【全島会場画像】

全島エイサー実行員会オフィシャルサイト動画

全島エイサー祭りの会場は沖縄市コザ運動公園



エイサー型の分類

沖縄本島には、さまざまなタイプのエイサーが存在します。

  1. 締め太鼓・・・・・・沖縄本島中部
  2. パーランクー・・・・沖縄本島南部、与勝半島一帯
  3. 男女の手踊り・・・・沖縄本島本部半島一帯
  4. 女性のみの手踊り・・沖縄本島北部一帯
  5. 念仏エイサー・・・・沖縄本島南部の一部地域

 

今回の投稿で紹介しているのは、締め太鼓主体のエイサー団体である。

地域の場所も紹介しておきます。沖縄本島中部地区の沖縄市北谷町

参考に那覇空港から沖縄市と北谷町までの地図と車で移動した所要時間を参考にして下さい。

沖縄は車、社会のため観光で来られる方はレンタカーや公共交通機関(バス・タクシー)をご利用下さい。

 

よければ最後にエイサーメドレー曲をお聞き下さい。

初心者むけに三線を始めてみたいと思う方は詳細欄から確認下さい。

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最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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次回はエイサーの構成について解説します。